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東京地方裁判所 昭和45年(レ)171号 判決 1971年12月24日

控訴人(被告)

津川静夫

右訴訟代理人

菅徳明

被控訴人(原告)

北田広明

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件雇用契約の雇主について

被控訴人本人の供述(原審第一、二回)中には、控訴人はその都度適当な会社名を使つては不動産業を営んでおり、本件雇用契約の締結にあたつても、被控訴人は、控訴人から直接雇用条件についての説明を受け、控訴人に雇われた(原審第一回)とか、控訴人から直接採用の承諾を得たものである(原審第一、二回)との部分がある。

しかし一方<証拠>によれば、控訴人、訴外菊本悦夫ほか五名は昭和四二年二月ころ、不動産の売買等を業とする大日観光株式会社の設立を、その発起人となるべき者として企画し、会社設立の準備にとりかかつたこと、同年三月半ばころにはその定款の内容を決定して、定款となるべき書面を作成し(但し、この書面には発起人として控訴人ほか右七名の記名はあるが、捺印はない)、設立に際して発行する株式二、〇〇〇株(額面五〇〇円)はすべて控訴人ほか右六名で引受をし、そのうち控訴人を含む四名はその払込みも終了したこと、役員の構成については訴外菊本が代表取締役に、控訴人は専務取締役に、残り五名のうち二名が取締役と監査役にそれぞれ就任するものとされていたこと、そして同年三月一〇日ころから大日観光として、東京都新宿区新宿二丁目五七番地において事実上その営業活動を開始するとともに同月二七日付読売新聞に大日観光の名前で、「新設!高級社員求む」と記載して営業総務課員と営業課員を募集する旨の従業員募集広告を掲載したこと、被控訴人はこれを見て右同所に赴いて、新聞広告を見てきたが、おたくで働きたいと言つて雇用の申込みをし、本間営業部次長の面接を経て、同年四月二〇日ころ大日観光の事業のための営業員として雇用され、大日観光株式会社営業部観光課という肩書の名刺を交付されてこれに被控訴人名を書入れるようにとの指示を受けたことが認められる。そうすると、右認定の事実関係のもとにおいては、被控訴人本人の前記供述をもつて直ちに被控訴人が控訴人に雇用されたものであるとの事実を認めることはできないし、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、右認定事実によれば、被控訴人はいわゆる設立中の会社である大日観光に雇用されたものと認めざるを得ない。この理を詳述すれば、次のとおりである。

株式会社の設立は、定款の作成に始まり設立登記により終了するが、その間、複雑な手続を経て、次第に社団としての実体を備えてゆくものである。そして、設立中の会社とは、この将来成長、発展して株式会社となるべきその前身として、実質的にはこれと同一の存在であることを承認された権利能力なき社団であると解される。この設立中の会社の成立時期は、一般的には、発起人が定款を作成し、かつ各発起人が株式を引き受けた時と解するのが相当である。この時には将来の株式会社の組織ならびに人的および物的基礎の一部が確定し、したがつて将来成立すべき株式会社の前身たる一つの社団が成立したものといい得るからである。もつともこの意味においては、定款の作成を要件とするとはいつても、発起人の定款への署名ないし記名、捺印という商法上における厳格な意味での定款の作成、したがつてまた発起人として定款に署名ないし記名、捺印した者という意味での発起人の存在を常に要するとする必要はなく、未だ発起人による定款への署名ないし記名、捺印がなされていない場合であつても、発起人となるべき者が確定されており、これらの者の間において定款の内容自体については既に決定をみ、定款となるべき書面も作成されており、またこれらの者による株式の引受はもとよりその払込も一部なされているような場合には、少なくとも構成員とその執行機関が備わつているのであるから、これを設立中の会社というのを妨げないものと解すべきである。本件雇用契約締結当時においては、大日観光株式会社設立の発起人となるべき者として控訴人ほか六名の者が確定され、これらの者により定款の内容も決定され、これらの者による発起人としての捺印はないが、その記名のある定款となるべき書面は作成されており、また設立に際して発行する株式はこれらの者によりすべてその引受がなされ、その一部については払込みも終了していたこと前記認定のとおりである。したがつて、大日観光は設立中の会社というべきところ、被控訴人は大日観光の従業員募集広告を見て、これに応募し、大日観光に赴いてその営業員となるべく本件雇用契約を締結したのであるから、被控訴人は設立中の会社である大日観光に雇用されたものと認めるべきものである。

そうすると、控訴人と被控訴人間に雇用契約が成立したことを前提とする本訴請求は、この点において既に失当というべきであるが、控訴人の発起人としての責任について以下付記する。

二<証拠>によれば、大日観光は、設立の準備を進めるかたわら昭和四二年六、七月ころまで営業活動を継続したが、営業の行き詰まりから中途で挫折し、設立登記までに至らず、結局大日観光の設立は不成立に終つたことが認められる。

ところで、商法第一九四条第一項は会社不成立の場合の発起人の責任について規定しているが、同条にいわゆる発起人とは定款に発起人として署名ないし記名捺印した者と解すべきところ、控訴人が大日観光の定款に発起人として署名ないし記名、捺印したことを認めるに足りる証拠はない(前記認定のとおり記名があるのみである)。また、同条にいわゆる会社の設立に関してなしたる行為とは、会社の設立自体に関する行為および設立に必要と認められる行為に限られ、いわゆる開業準備行為はこれに含まれないものと解すべきである。すなわち雇用契約の締結についていえば、設立に必要な行為を担当させるための事務員の雇用は、設立に関してなした行為に含まれるが、会社の目的とする営業活動に従事させるための社員の雇用は、これに含まれない。本件雇用契約の締結が、その後者であつて、いわゆる開業準備行為に該当するものであることは、前記認定の事実により明らかである。そうすると、いずれの点からしても、控訴人に対し、発起人として本件雇用契約上の責任を負担させることもできない。

三そうすると、控訴人が本件雇用契約の雇主であることを前提とする被控訴人の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。したがつて、被控訴人の請求を一部認容した原判決はその限りにおいて失当であるから、原判決中被控訴人の請求を認容した部分は取り消し、被控訴人の請求は棄却すべきものである。

よつて民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(岩村弘雄 矢崎秀一 飯塚勝)

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